恒星と星群(アステリウム)が描く星空
古代の人々は目立つ恒星、あるいは特徴的な星群(アステリウム)に名前を付け、天空の目印としました。
オリオン座は、その特徴的な星並びから、巨人の姿を連想させます。ギリシャ神話では、狩人オリオンです。
その近くにあるのは牡牛座で、アルデバランを含むヒアデスの星並びを、牡牛の顔に見立てています。星座に描かれているオリオン座の姿は、おうしに向って棍棒をふりあげているように見えます。が、ギリシャ神話には、オリオンが牡牛(ゼウスの化身)に向かって棍棒を振り上げた話は見当たりません。
オリオン座の原型は、紀元前3000年頃の都市国家ウルクにおいて語り伝えられた英雄ギルガメッシュの姿です。ギルガメッシュは天の牡牛(グガランナ)を退治します。つまり、オリオン座はギルガメッシュの姿であり、ギルガメッシュが退治した天の牡牛(グガランア)が現在のおうし座です。
現在、伝えられている星座は、ギリシャ神話に関連しているものが多いのですが、そこにはさらにギリシャ神話以前からの言い伝えが含まれていることがあります。
太陽が沈むと輝く恒星。太陽は1年かけて恒星の中を巡っていきますので、恒星の出没は季節を知らせる暦でもありました。
蠍座のアンタレスは、その赤い輝きから、古代中国では大火と呼ばれていました。紀元前2000年の中国では、この大火(アンタレス)が日没後の南の空に輝くと、ほどなく夏至がやってくるとされました。
紀元前2500年頃、ギザのクフ王のピラミッドが作られた時代ですが、人々は、シリウスが日の出前に東の空に昇ると、ナイル川の洪水がやってくることを知ります。またこれにより、シリウスはナイル川の洪水と豊穣を告げる星になります。
現在のうみへび座は、古代メソポタミア(バビロニア)の夜空にもすでに描かれており、うみへびの背中にライオンが乗っていました。現在の獅子座です。紀元前2000年頃の古代メソポタミアにおいて、レグルス(αしし)のあたりに太陽がやってくると夏至になり、地上には強い日差しが降り注ぎました。
スピカは、古代メソポタミアにおいて、麦の収穫時期を告げる星であったようです。そこからスピカは麦の穂をあらわす恒星となります。が、古代メソポタミアの夜空に、女神の姿は描かれていませんでした。
古代ギリシャの詩人、ヘーシオドス(紀元前800年頃)が農事と星空を結び付けた詩を詠んでいます。「オリオンとシリウスが中空にかかり、明け方にアルクトゥルスを見たら、ぶどうの房をことごとく切り落として運び帰るべし」とあります。つまり、アルクトゥルスが日の出に東の空に昇ってきたなら、葡萄の収穫を終わりにしなくてはならないということです。
太陽の全天1周につれて、季節が移り変わっていくのですから、夜空に輝く恒星はまさに暦の役割を果たしていました。
古代バビロニア(紀元前2000年頃)には天秤座はなく(蠍座の一部)、牡羊座もまだなかったようです。が、太陽の動きを観測しているうちに、太陽の通り道である黄道に近いところに輝いている恒星や星並びを目印とするようになり、それが、黄道12星座へと発展していきます。
といっても12の星座は等分に天空を区切っているわけではありません。目立つ恒星や特徴的な星群(アステリウム)を中心に描かれた星座の形や領域は曖昧で、幅の広い星座もあれば、狭い星座もあり、不均等でした。実際の星並びによる天文星座をコンステレーションと呼びます。
紀元前450年頃、つまりソクラテスやプラトンがいた時代から250年ほどの間に、占星術(アストロロジー)の基礎が作られていきます。
この時代、春分の太陽は牡羊座を運行し、夏至には蟹座へ、秋分には天秤座へ、冬至には山羊座を運行しました。といっても、運行している太陽は見えませんので、実際には、春分の夜中に天秤座が、夏至の夜中に山羊座が、秋分の夜中に牡羊座が、冬至の夜中に蟹座が輝いていたわけですが。

コメント
コメントを投稿