天の周期、月の暦の1か月、太陽の1年
時は天体の動きから生まれました。
太陽が地上を一巡りする1日。地上からの太陽の位置によって、1日の時が決まります。
太陽が東から昇る朝。東はラテン語で「オリエンス(Oriens)」、これは「日の昇ってくる方角」という意味。
太陽が最も高く昇り南中する昼、正午。ラテン語で南は「メリデイウム(meridiem)」、これはラテン語の「medius(中央)」からきている言葉。太陽が昼の中央にある、という意味です。
(注・黄道の南中点は、メディウム・コエリMedium Coeli、天の中央)
西はoccidens オッキデンス 、これは(天体が) 沈むという意味で、太陽が沈む方角であることから。
太陽が地下に沈み、星が輝く時間が夜で、太陽は、北の地下にあります。
(注・イームム・コエリー Imum coeli 、黄道の北中は、天の底という意味です。)
ラテン語で北は、SeptemTrionesセプテントリオネス、これは北斗七星のこと。Septemは7,Trionesは犂を牽く農耕牛。天の北極の周りを7つの星並びが回っていく様子を、7頭の農耕牛にたとえました。
朝から新たな1日が始まる、という気分になる人たちも多いのですが、現代では、真夜中の0時が1日の区切りであり、日付が変更されます。
1日の区切りは、民族文化、時代によって異なります。
天文学では、太陽が南中する正午が1日のはじまり。古い時代のエフェメリスには12時の恒星時が記されていました。これは、正午が天文学の1日の始まりであったため。(注・時刻不明を計算しやすくするために12時の恒星時が記載されていたわけではありません。12時の月の位置については、時刻不明の場合に役立つことがあるのでしょうが。)
ユダヤ民族、及びキリスト教徒において1日の始まりは日没です。太陽が沈んで1日が終わる。終わるということはその直後に新たな始まりがやってくることですので、日没後に新たな1日が始まります。ですから、クリスマスのミサは、24日の日没後に行います。クリスマスイブですが、それはすでにクリスマスの1日の始まりでもあります。
そして月の満ち欠け。人々はその満ち欠けの周期が約30日であることに気づきます。
夕方の西の空に細い月が姿をあらわしてから約1週間後、半円の月が天頂にかかります。さらに1週間後、夕方の東の空から、丸く満ちた月、満月が昇ります。
満月を過ぎると月の出は遅くなり、満月から1週間後には、夜明けに半円の月が天頂に残っています。月はさらに欠けていき、夜明けの東の空にわずかに姿を見せるようになり、そして姿を消します。その後、再び夕方の西の空に、新たに生まれ変わった姿を見せる。これが月の満ち欠けです。
ウクライナのゴンツィ遺跡(紀元前1万3500年)からは、マンモスの骨に刻み目をつけたものが発見されており、刻み目の7もしくは8番目ごとに長い刻み目がつけられていることから、これは新月、上弦、満月、下弦、新月の四つの周期をあらわしたものであろうと考えられています。
そして月の満ち欠けに対応した太陰暦が作られます。夜空に見える月の形で日を数え、月の満ち欠けである30日を1か月とする。(実際には月の満ち欠け周期は29.5日ですが。)
暦には、人々に共通の時を認識させるという役割があり、月の暦はこの役割を果たすには最適でした。なぜなら、どこから眺めても、人々がみている月の形は共通だから。
月の満ち欠け周期は29.5日、イエイツが月を28相としたせいで(!)、月の満ち欠けが28日だと思い込んでいる人たちもいるのですが、月の満ち欠け日数は29もしくは30です。
月は満ち欠けする間に、全天を390度巡ります。(360+30=390)。
従って390÷30=13(1日の移動度数)、これは、ヒンドゥのナクシャトラの幅です。朔望の1周期(390度)で、月は29もしくは30のナクシャトラを通過するのです。
古代の暦の1か月は、29日と30日を交互に配置しているものが多かったようです。古代ローマの暦は月の満ち欠けで1か月を計る太陰太陽暦でしたが、月の始まりは月齢1(朔)からではなく月齢2(既朔)からです。それは月の出を確認して、新たな1か月がはじまるとしていたため。
(注・月が全天を1周するのは27.3日。満ち欠けの周期が約29.5日なのは、月が全天1周する27.3日の間に、太陽も先へと移動しているから。)
太陽は1年かかって恒星の中を移動していくので、季節によって夜空に輝く恒星が移り変わります。太陽に伴う季節の巡りから1年という時の単位が作られ、年を知るための太陽暦が作成されます。
すなわち、春分には太陽は真東から昇り、真西へ沈み、昼と夜の時間は等分。
(以下、北半球において)春分を過ぎると日の出と日の入りの方位は真東よりも北へと移動し、
夏至において、太陽はもっとも北から昇り、最も高くあがり、最も北へと沈む。春の時間が最長になり、夜の時間は最短になる。
夏至を過ぎると、日の出と日の入りの方位は、再び東へと移動し始め、
秋分において、太陽は真東から昇り、真西へと沈み、昼夜の時間は等分。
秋分を過ぎると、日の出と日の入りの方位は東よりも南へと移動していき、
冬至においてもっとも南から昇り、最も低くしか昇らず、最も南へと沈む。昼の時間は最短で、夜の時間は最長になる。
冬至を過ぎると、日の出と日の入りの方位は、東へと移動していく。
つまり、日の出と日の入りの方位が1年の暦となるのです。
環状列石遺構、ストーンヘンジでは、夏至の日の出の方位に対応したヒールストーンが設置されています。日本にも環状列石遺構があり、東京都下町田市の田端遺跡は、冬至の日没時の太陽が丹沢の蛭が岳の山頂にかかることで知られています。冬至の太陽が沈む方位と、山の山頂が一致した場所に環状列石を作って、季節を知るために使用したのかもしれません。
太陰太陽暦は、月の満ち欠けの太陰月で1か月を、太陽の動きで1年を知る暦です。
しかし、太陰月の29.5日が12回繰り返されても、354日にしかなりません。太陽の1年には11日足りないのです。つまり、太陽の1年が巡る時、月齢は11日進んでいます。それが3年続くと、約33日。太陰月1か月分よりも大きなずれが発生します。太陽年の3年で、太陰月が36+1回とさらに3.5日巡るのです。
ガリアのコリニー暦(最古のケルト暦、紀元前1世紀頃のもの)は、2年半ごとに閏月を挿入したそう。おそらく、3年目の夏至の前に閏月を挿入し、5年目の冬至の前に閏月を挿入して、5年でワンセットにしたものではないでしょうか。太陰月30を数えて、1を足す。これを2回繰り返す。
(29.5×62=1829)÷365.25≒5
29.5×30=885
365.25×2.5≒913
913-885=28なので、夏至の前に太陰月1カ月弱が入り、それが閏月となる。
さらに30か月後、5年めの冬至の前に、(つまり5年サイクルの終わりに)、閏月1か月追加。
参考文献:後藤明編集『星の文化史』(丸善出版)
中国では19年7閏。19太陽年のうちに7閏月を挿入する方法が用いられました。太陽の1年を二十四節気とし、二至二分と30度間隔にある他8つの感受点を含む12中気を含まない太陰月を、独立した月名を与えない閏月として(前月の月名を繰り返す構造)、太陰太陽暦を作成していました。

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